『尽きぬ悩み』100 2011-03-06 膵臓癌に侵されたおやじはまさに闘病の末、昭和57年に他界しました。 兄は学生社長になりました。 しかし気楽なぼんぼん社長にはなれません。 おやじが残した借金数億円も抱えざるを得なかったからです。 リ…続きを読む
『邪道と言われても』101 2011-03-07 兄は幹部の裏切り行為などで人間不信になるほどの辛い経験をしました。 そして事業で“どんな厳しい状況でも逃げずに立ち向かう心の大事さ” を学びました。 いやというほど学んだこの…続きを読む
『兄の決意』102 2011-03-08 兄の決意は固かった。 断腸の思いで金城先生に会長辞任の意向を告げました。 嫌なこと、辛いことを避けて通らない。 逃げ出したくなるようなものを目の前にして、腹をくくって立ち向かう。 空手をやりながらそ…続きを読む
『人が人を呼ぶ』103 2011-03-09 人が人を呼ぶといいます。 館長が事業を営む会社に一人のアルバイターが入りました。 彼の名は安部康博。 のちにK-1ジャパングランプリに出場。 そして第2代全日本ヘビー級チャンピオンとなる男です。 安…続きを読む
『もし欠点がなかったら、という考え』103 2011-08-11 人を審査する、人を評価する。 その際に心得なくてはならないこと、 それは「もし欠点がなかったならば」。 この人は、欠点もあるがいいところもいっぱいある。 もし、この欠点がなかったならば言うことのない…続きを読む
『イタイ……痛いを居たいにさせてくれる道場へ』104 2011-03-10 当時、少年部は伝統派いわゆる寸止めで、 一般部は直接打撃というややこしい道場でした。 少年部は私が担当し、一般部は館長が指導しておりました。 館長の指導は単純明快で、 テクニックについてああだこうだ…続きを読む
『研修会への傾倒』105 2011-03-11 私が金城裕先生より空手を習い始めたのは高校1年生からでした。 その時金城先生は60歳。 おそらく私が最後の直弟子となるのでしょう。 その中身はとても内容が濃かった。 私は金城先生からじっくりしっかり…続きを読む
『空手ノート 大切な宝物』106 2011-03-12 なぜ金城先生の空手が理解できないのか。 私はもどかしくてしかたありませんでした。 先生の技術と精神を正しく伝えていくことが自分の使命ではないか。 そう思えてなりませんでした。 私はよく、金城先生から…続きを読む
『二つの空気』107 それから数年が経ち、 私は建武館少年部の指導をすることになりました。 安部康博がK-1で活躍していたころです。 当時の私は建武館の副館長であるとともに、 研修会の会長宗家でもありました。 そして会長宗家の職責を全うするこ…続きを読む
『焦燥感』108 2011-03-13 継承する私が誤ってしまっては、 連綿と続く空手の歴史、研修会の伝統が途絶えてしまう。 私が歴史を分断、根絶させるわけにはいかない。 金城先生はその使命を私に託したのだ。 だから今は私情を捨て、負託に…続きを読む