それから数年が経ち、
私は建武館少年部の指導をすることになりました。
安部康博がK-1で活躍していたころです。
当時の私は建武館の副館長であるとともに、
研修会の会長宗家でもありました。
そして会長宗家の職責を全うすることが、
何よりも優先すべき使命であると感じていました。
建武館では、兄は直接打撃の空手を教える傍ら、
私は研修会の空手を教えていたのです。
技術の長である私は異なる技を指導することが自分に許せなかったからです。
建武館では二つの空気が流れていました。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
コラムは毎日書いていますので、よろしければ明日もまた読んでみてください。
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篠田 剛 SHINODA Tsuyoshi
日本空手道建武館 館長
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※『おれの半生』は2010年9月~2012年9月にマイベストプロ東京で公開した『館長コラム』を転載したものですので、掲載している記述は執筆時点のものであり現況とは異なることもあります。