『館長就任』121 2011-07-17 控えめでおとなしい性格だった兄は、努めて社交的な人間に変えました。 飲めない酒も、浴びるほど飲んで陽気にふるまいます。 見返してやる。 その意地もあり、5年後には独力で新しい会社を設立しました。 自…続きを読む
『バトンをつなぐまでの使命』122 2011-07-18 おやじが死んだ歳を迎えるのを前にして、兄は私に道場を譲りました。 これはまさに遺言状のようなものでした。 兄の本望は自分の子息に譲ることだったでしょう。 しかしあいにく兄は子宝に恵まれませんでした。…続きを読む
『ネガティブ助言に惑わされない』123 2011-07-19 跡継ぎが一人前になるまでのつなぎ役になる。 それが私の使命ならば、私が与えられた残余期間は10年余りです。 その頃の私はすでに60歳を迎えています。 体を張ってできるのも、あと10年くらいでしょうか…続きを読む
『初心と反省 掃除始める』124 2011-07-25 館長就任(2009年)当初は戸惑うことばかりでした。 自分自身の置かれている状況すら十分わかっていませんでした。 そんな感じでしたので、館長らしいこともできずに、 あっという間の一年が過ぎようとして…続きを読む
『館長就任2年を迎え』125 2011-11-24 館長となって2年を迎えました。 振り返ると不況が続き、大震災というとても悲しい出来事もあり、 辛さからなかなか抜け出せません。 そういう中で道場が果たす役割はとても大きく、 世に求められているものだ…続きを読む
『初めての富士登山』126 2011-06-07 建武館の子ども達に日本一を経験させたい。 それなら富士登山だ。 すこぶる単純明快な発想でした。 その目的は、矜持。 実は私、登山経験がありません。 当然、富士山に登ったことなどありません。 よそ様の…続きを読む
『長男と日本一の山』127 2011-06-08 その頃は仕事が不順で、しかも研修会の辞任などがあった時期でした。 建武館の子ども達との富士登山の計画はなかなか立てられませんでした。 ある日、登山経験の豊富な人から 「小学4年生になれば富士登山がで…続きを読む
『父子二人っきりの旅路』128 ところで長男の名は拓海といいます。 私が拓殖大学出身であったこともその名の由来でもありました。 “開拓”や“海外雄飛”つまり世界の人達と交流のもてる人になれ! というのがそ…続きを読む
『キレイなタコ部屋』129 2011-06-09 2006(平成18)年8月。 お盆休みを利用して長男、拓海と日本一の山、富士山に登りました。 午後、五合目から出発。 高山病は辛い。拓海には私の二の舞を踏ませたくないと、 何度か途中休憩を挟みました…続きを読む
『ついに、頂上へ!』130 2011-06-10 父と子、二人きりでの富士登山。 八合目の山小屋を、真夜中に出発して山頂を目指します。 8月といっても九合目あたりからは結構寒く、 防寒着なしではいられません。 仮眠もとれなかった息子、拓海にとっては…続きを読む