2011-03-06
膵臓癌に侵されたおやじはまさに闘病の末、昭和57年に他界しました。
兄は学生社長になりました。
しかし気楽なぼんぼん社長にはなれません。
おやじが残した借金数億円も抱えざるを得なかったからです。
リストラの断行や幹部からの裏切りなども起きて、
精神的にとても疲弊したのもこの頃です。
それから5年が経ちました。
昭和64年のことです。
金城裕先生が会長を退任することになりました。
それを機に組織の若返りを図るというわけではありませんが、
我々兄弟が指名されたのです。
はじめは当惑しました。
私の場合、それでも、先生が指名して頂いたのだから、
その期待に応えるという一念が強かった。
しかし兄の場合は気持ちだけではどうにもならないものがありました。
社員や社員の家族を守らなければならない、という厳しい現実です。
兄は二代会長を引き受けたものの、悩みは尽きませんでした。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
コラムは毎日書いていますので、よろしければ明日もまた読んでみてください。
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篠田 剛 SHINODA Tsuyoshi
日本空手道建武館 館長
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※『おれの半生』は2010年9月~2012年9月にマイベストプロ東京で公開した『館長コラム』を転載したものですので、掲載している記述は執筆時点のものであり現況とは異なることもあります。