2011-03-05
平成14年は私にとってはげしくゆれ動いた年になりました。
私は当時、
研修会という由緒ある空手組織の長を務めさせていただいておりました。
過去に遡ると、
平成元年に金城裕先生が会長を退任されます。
金城先生退任を機に我々兄弟がその跡を継ぐことになりました。
行政の長として兄が二代会長に就任。
そして技術の長として私が二代宗家を襲名しました。
役割を割り振った理由は至って明瞭でした。
兄は事業をしていて人との結びつきをつける才覚に長けていたので行政つまり運営を。
私は頑固で融通がきかない職人肌でしたので技術の継承を任されました。
このようにして、兄弟二人三脚の組織運営がスタートしたのでした。
生前、おやじは事業をしていました。
しかし当時にして数億もの借金を抱えていました。
そのおやじが膵臓癌のため49歳で他界。
兄は会社を引き継がざるを得ませんでした。
少しずつ返済していったものの、
二代会長を引き受けたときも未だ借金が残っていました。
このままでいいのだろうか。
兄は悩んでいたのでしょう。
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篠田 剛 SHINODA Tsuyoshi
日本空手道建武館 館長
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※『おれの半生』は2010年9月~2012年9月にマイベストプロ東京で公開した『館長コラム』を転載したものですので、掲載している記述は執筆時点のものであり現況とは異なることもあります。