『親父の悔恨』 8

父が再婚し、二番目の母との生活が始まりました。

私はどうしてもお母さんとは呼べませんでした。小学3年生の私は20歳の女性にどうしても母性を感じることはできなかったのです。

父は普段から仕事の付き合いで外出し、家にはいない人でした。母親は元々酒が好きで飲んでいましたが、子どもがなつかない寂しさが加わり、更に荒んできました。

自宅で会社の方と夜遅くまで飲むときは、酒が深まると母親は大声になりいざこざが起こります。一度、朝方にパトカーが来て登校するときとても恥ずかしい思いをしました。

酒が入っていない時は、母親は私を池袋の繁華街、よくロサ会館のゲームセンターに遊びに連れて行きました。ゲームに飽きると私は一人、隣にある大人のオモチャ屋にぶらぶら立ち寄るのです。

そんな家庭環境にいる私達を、父はどう思ったのでしょうか。おそらく、このままではろくな男にならないのではないか。親として痛切に責任を感じたろうと思います。

それからというもの、父は時間があれば私を連れ出すようになりました。

サウナによく行きました。父は蒸し風呂に20~30分入り、出る前に拳立てと腹筋を50回やります。そして水風呂にザブンと入ります。それを2、3度繰り返します。背中の流し方も教わりました。

映画にも行きました。当時流行っていたトラック野郎とかよく覚えています。

飲む席にも連れて行きます。カラオケは人生劇場など村田英雄が多く、小学生なのに歌えるようになりました。

男とはなんぞや?の精神を、もの凄い勢いで叩き込み始めたのです。
まるで出遅れを取り戻すかのように。

建武館 篠田剛

2010-11-08

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※この『おれの半生』は2010年9月~2012年9月にマイベストプロ東京で公開した『館長コラム』を転載したものですので、掲載している記述は執筆時点のものであり現況とは異なることもあります。

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