2011-02-01
涙が止まらなかったその悔しさを糧に一年間稽古しました。
一年後の勝利のためなら苦しみに耐えられました。
稽古が辛くて時々頭をもたげた怠け心も
“お前はあの時の恥をもう忘れたのかよ”
自分にそう言い聞かせて心を奮い立たせたものです。
自分自身に喝を入れることは頻繁にしました。
しかし道場では私が一番先輩でしたし体力もあったので、
どうしても後輩に合わせてあげてしまいます。
ですので外部からのプレッシャーというものは望めませんでした。
そこで、よく出稽古に行かせてもらいました。
道場では自分からわざと悪条件を設定して稽古しました。
利き腕は使わない、足捌きだけで防御する、片目をつぶる、
などです。
プレッシャーを楽しむ、という境地には至れませんでしたが、
受け入れるくらいのことは常にやっていました。
後輩三人組もあの頃は献身的に協力してくれましたね。
おかげで技量もぐんと向上できました。
私の所属団体だった研修会の全国大会での念願の優勝も、
地元板橋での総合優勝もこのころでした。
そして。
いよいよ迎えた連合会全国大会。
昭和61年のことでした。
建武館 篠田剛
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※『おれの半生』は2010年9月~2012年9月にマイベストプロ東京で公開した『館長コラム』を転載したものですので、掲載している記述は執筆時点のものであり現況とは異なることもあります。