2010-12-28
一人ぐらいはこういう馬鹿が、
居なきゃ世間の目は覚めぬ
この頃の私の心境でした。
硬派に憧れて、
より男らしく振る舞いたいと思うようになりました。
下駄は歩くと歯の部分が削れて短くなります。
草履のように平たくなって、
やがて、真っ二つに割れてしまいます。
そこに、ガムテープを貼って履き続けました。
番傘も使っているうちに油紙がぼろぼろになって、
しまいには竹の骨組みだけになってしまいます。
まったく傘の役目を果たさないのですが、
雨でずぶ濡れになりながら、それでも差し続けました。
いずれお話しする山岡鉄舟の人柄を表した唄、
下駄はビッコで着物はボロで、
心錦の山岡鉄舟
そんな心意気で、世の中を闊歩していました。
建武館 篠田剛
前のページ 次のページ
※『おれの半生』は2010年9月~2012年9月にマイベストプロ東京で公開した『館長コラム』を転載したものですので、掲載している記述は執筆時点のものであり現況とは異なることもあります。