2011-09-12
今日は最後の10問目です。
【Q10】
館長は学生時代、へんな呪文を口ずさみながら恥ずかしがりを乗り越えました。さて、それはどんな呪文だったでしょう?
コラムを読まれている方はご存じでしょうが私は超がつくほど恥ずかしがり屋でした。ただし、高校時代はパンチパーマでソリまで入れてツッパっていました。恥ずかしがり屋のツッパリっておもしろいでしょう。私服OKの学校に私は学生服で通っていました。自転車で。
自転車で思い出しましたが、登校時いつも私をすごい勢いで追い越していく学生がいました。布市という同級生した。高校時代は一度も話したことがありませんでしたが、卒業後、井口が連れて来て紹介してくれました。「おれの半生」39話を覚えているでしょうか。おやじの通夜を一転して大宴会にした男、それが彼でした。布市はその後、建武館にも入ってくれて、一緒に稽古した仲間でもあります。
閑話休題。高校時代の学生服は中ランでハイカラー。ズボンはずんどうでした。先輩方は、いわゆる書生さんのようなふつうの学生服を着ていました。私はツッパリ仕様のものしか持っていませんのでそれを着るしかありません。そのズボンに手ぬぐいをぶら下げ、学帽をかぶり、下駄をカランコロンとならしながら歩きます。そんな身なりの者は珍しく、また下駄の音もして、町行く人みな振り返っては好奇の目で見ていました。
ただ普通に町を歩くだけでそれはもう恥ずかしくて仕方ありません。堂々と歩けばいいものを、元来の恥ずかしがり屋ですから背中を丸めて歩いていたんでしょうね。服装も中途半端。心も中途半端な時で、まだまだ拓大生にはなっていませんでした。
しかし不思議ですね。
拓大で大声で発生練習するうちに、自信、誇りが、紙が一枚ずつ重なっていくように感じられました。そして、ただ恥ずかしい恥ずかしいと思っていただけの心に、ある変化が現れてきました。
それは、開き直りといいましょうか。自暴自棄の開き直りではなく「ありの儘を見よ」という感覚です。いつものように歩きながら、私はこんな言葉を口ずさんでいました。
見るなら見ろ
笑うなら笑え
これが俺の生き方だ
文句あるか バカヤロウ …と。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
コラムは毎日書いていますので、よろしければ明日もまた読んでみてください。
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篠田 剛 SHINODA Tsuyoshi 日本空手道建武館 館長
財団法人日本体育協会公認上級指導員 介護予防サポーター
板橋区にある地元密着の空手道場で“ガマンを売る”空手家
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※『ひと・もの・こと』は、2010年9月~2012年9月にマイベストプロ東京で公開した『館長コラム』を転載したものです。したがって、掲載している記述は執筆時点のものであり現況とは異なることもあります。