2010-09-30
父の事業がまだ順調だった頃。
その会社に中国拳法を体得していた方が在職されていました。
そして、
近所には血気盛んな青年がたくさんいて、体力をもてあましておりました。
そこで父は、
その方にお願いして、青年達に拳法を習わせることにしました。
腕力を正拳に換えて、
暴発するエネルギーを道場で吐き出させようとしたのだと思います。
それに、今思うに、
引っ込み思案で気が弱く、意気地のない息子を強い男にさせたい、
そんな願いも頭の片隅にあったのかもしれません。
いかつい顔の青年が集まりました。
そして「建武館」の稽古が始まったのです。
とはいっても道場などありません。
はじまりは2階建ての自宅屋上。
夏はかんかん照り付けて脳天はジリジリ、
冬は寒風が吹きすさび縮み上がって震えながらの稽古でした。
ときには神社の敷地内をお借りしたりもして、人が集まれる場所が即席の道場となりました。
稽古とは名ばかり。
血気盛んな人たちゆえ、初めはケンカの延長線のようでした。
いい思い出です。
昭和45年のことでした。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
コラムは毎日書いていますので宜しければ明日もまた読んでみてください。
篠田 剛 SHINODA Tsuyoshi 日本空手道建武館 館長
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※『おれの半生』は2010年9月~2012年9月にマイベストプロ東京で公開した『館長コラム』を転載したものですので、掲載している記述は執筆時点のものであり現況とは異なることもあります。