『離婚』 20

中学3年の時、若い継母は父と離婚し、家を出ていくことになりました。
身支度を終えると私に、

じゃあね…

いろいろ複雑な思い出が、おたがいにありました。
いろいろな言葉もあったでしょうが、全ての感情を、じゃあねの四文字に押し込めて、去って行ったのでした。

自宅の2階で別れを告げられた私は、玄関まで見送ることもなく、その場に一人残るのでした。

結婚離婚を繰り返す家庭環境ではふつう子供はヒネクレ者になるでしょう。私が幸せだったのは、父が愛情込めて育ててくれたことです。一人の男として接してくれたことです。

父は良い点を認めてくれました。
悪い点については、正反対の言葉に換えて言ってくれました。
ボクはそういうこと出来ない子だと思ったけど、もしかしたら出来る子なのかな。

父のこのような温かい接し方のおかげで今の自分があるのだと思います。

家族の愛情とはなんだろう。
その時は真剣に考えることもありませんでした。

私は必ず、父性だけで育ったために母性が足りない片端な人間になると思っていました。
それだけに、いつか生まれるだろう自分の子供にはそうはさせまいと心に誓うのでした。

建武館 篠田剛

2010-11-24

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※『おれの半生』は2010年9月~2012年9月にマイベストプロ東京で公開した『館長コラム』を転載したものですので、掲載している記述は執筆時点のものであり現況とは異なることもあります。

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