金城先生のご指導の大半は基本稽古で占められていました。残りの時間は鍛眼法と型だけです。組手は一度も教わったことはありませんでした。
その場基本をみっちりやったあと移動基本に移ります。一つの技を道場の端から端までを2往復します。基本技はたくさん種類がありますので何往復も何往復も単調な技が延々と続くのです。
ただし基本稽古は対人で行いませんので気を抜いてやればこれほど楽な稽古はありません。しかしながらそこを自分を律して気を抜かずにやるとなるとこれほど辛いものはありません。そこにガマンの心が生まれます。
だからこそ、そのおかげで今があるのです。
単調な基本をずっと教えていただいておかげでこの歳になっても動けるのです。
私が指導者となった今、わかることですが、教わる側とすれば単調な基本ばかり毎日の繰り返しはとても飽きます。しかし教える側としても、飽きる基本をやらせ続けることはとてもつらいものです。飽きさせないようどうしてもバラエティに富んだメニューを用意してしまいます。
教える側も教わる側も、飽きてしまうものを飽きずに飽かさずにガマンするさせることが肝心なんだと、今になってわかるのです。わかった上でブレずに指導し続けるのがいかに困難なことか。
バラエティに富んだメニューという枝葉末節ばかりを重視して基本を疎かにしていたら幹は太くならず、今頃私は理論しか言えない先生になっていたかもしれません。
だから、教える側は、相当な覚悟をもって道場生に、子どもに向き合う姿勢が必要なのです。
そう教わった気がします。
建武館 篠田剛
2010-11-20
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※『おれの半生』は2010年9月~2012年9月にマイベストプロ東京で公開した『館長コラム』を転載したものですので、掲載している記述は執筆時点のものであり現況とは異なることもあります。