『息子と大馬鹿おやじの富士登山』137

2011-07-05

富士山に、登らぬ馬鹿に、二度登る馬鹿。
私は3度目。
大馬鹿者となりました。

次男坊の大生と、親子で交わした約束通り、富士登山を致したのです。
平成20年(2008年)8月中旬のころでした。

大生は小さい頃から眠気に弱い子でした。
それゆえ、まさに夜通し歩かなくてはならない、
富士登山を完遂できるのか心配でした。、

そこで試しに行った徹夜行脚をみごとにやってのけ、
富士登山行きの切符を手に入れました。
そしてこの日を迎えたのです。

さて八合目まで順調で、予定通り山小屋に到着しました。
ところがその後、物凄い土砂降り。
雷まで鳴って山小屋の中で話し声が聞き取りにくいほど。

我々より後から山小屋に到着した人はずぶ濡れ。
到着が大幅に遅れて日がどっぷり暮れてから、
やっとの思いで山小屋に飛び込んでくる人も。

ただ、この土砂降りで思いがけない幸運に恵まれました。
途中下山して宿泊予定者が減ったせいか、
大部屋から小部屋に移ることができたからです。

ほんの数時間ですが仮眠ができたのはラッキーでした。
もっとラッキーなのは出発時刻にはあの豪雨がピタッと止んだことです。

さあ大生と頂上に向かって出発です。
忍耐強い大生は眠いのを堪えて登り続けました。

ところが九合目を過ぎたところで、あともう少しというのに大渋滞。
可哀そうに大生は山頂でご来光を仰ぐことはできませんでした。
ご来光 大生富士登山 日本空手道建武館.jpg
しかし、その綺麗なこと。
しばし時を忘れ、二人で見とれていました。

山頂に着いた大生。
しかし顔つきを見ると辛そう…。
大生も、やっぱり高山病にかかってしまっていたのでした!

徹夜行脚の試練を経て、やっとの思いで迎えたこの日。
大生はこの経験を忘れず、
きっと大人になっても自信と誇りを抱いてくれるでしょう。
富士登山 山頂の火口をバックに大生.jpg
高山病ぎみの大生。山頂の火口をバックに踏ん張って笑顔で。


2014年には三男坊の一心が小学4年生。
私は超大馬鹿者になります。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
コラムは毎日書いていますので、よろしければ明日もまた読んでみてください。
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篠田 剛 SHINODA Tsuyoshi 日本空手道建武館 館長
財団法人日本体育協会公認上級指導員 介護予防サポーター
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※『おれの半生』は2010年9月~2012年9月にマイベストプロ東京で公開した『館長コラム』を転載したものですので、掲載している記述は執筆時点のものであり現況とは異なることもあります。

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