空手以外のことをしよう。
ならば球技だ。
小学6年生のときポートボールが上手かったという理由で、中学生になるとバスケ部に入りました。しかし長続きせず、今度は友達がいるからという理由で野球部に入ります。
空手から距離を置いたのです。
1977年のある日曜日、偶然にも私の中学校で空手の試合と野球部の練習が重なりました。私は空手を選んでいました。グラウンドに目をやれば野球部の仲間がいました。
浮ついた気持ちのまま試合をするも、型の部で優勝します。これでいいのか、という気持ちにもなりました。
しかしながら野球部に身をおいても、上手くなろう、レギュラーになろう、という向上心は湧いてきませんでした。そのあとも、何となく日が暮れるまで部活をし、塾に通うという日々を過ごしていました。
そんなある日、父が私を出稽古に誘いました。板橋の高島平にある啓心会の道場です。
空手から離れようとしている私は、はじめ気が乗りませんでした。しかし、出稽古というのも初めてだし、ここ最近、父との接点もなかったことだし、一回くらいは行ってもいいかな、と思いました。
もともと父のことは好きだし、二人で行動するのも内心は嬉しかったのだと思います。それを素直に態度や言葉に出すのは中学生にもなって恥ずかしいと思っていたのかもしれません。だから、しかたない、という感じで了承したのでした。
出稽古は始めての経験でした。やはり緊張感が違います。人も違えば作法も違います。自分以外はみな敵に見えるのです。
稽古が終わり、道場の近くにある立ち食いうどん屋に父と二人で入りました。カウンターだけの小さなお店だったと記憶します。緊張から解放された安堵感と、久しぶり父との食事。これが相俟って、すごく美味しく感じられました。
何日かして、父からまた出稽古に誘われました。
うどん食べさせてくれるなら行ってもいい…。これが私の返事でした。
中学生にもなって、何とも子供っぽいことか。
だけど、ここらへんの誘い方というか持っていき方というか、絶妙なタイミング。父はうまかったですね。
少しずつですが、空手に対しての想いが、また湧いてき始めたのでした。
建武館 篠田剛
2010-11-12
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※この『おれの半生』は2010年9月~2012年9月にマイベストプロ東京で公開した『館長コラム』を転載したものですので、掲載している記述は執筆時点のものであり現況とは異なることもあります。