2011-04-07
研修会を辞める決意を固めてまもなく、
金城先生にお手紙を差し上げました。
会社の業績が不振であることは書きました。
しかし直接打撃の空手を兄とやることになった、
ということはどうしても書けませんでした。
お会いする日が決まりました。
そして約束の日、私は平塚のご自宅に訪問しました。
空手の大家でありながら質素で落ち着いた佇まいです。
何度も訪問しているところですが、この日はとても重苦しく感じました。
趣味の茶碗やコップの陶器が並んでいる小さな応接間があります。
そこで先生とお話しすることになりました。
何から話してよいものか、とても迷っていました。
しかしどうしても言わなければならない。
思い切って、辞めることを告げました。
先生は何も言わず受け入れてくださりました。
以前、先生は私の息子が生まれたことをとても喜んでいました。
50年先を見据えなければなりませんと仰っていたことがありました。
おそらく息子の代までの青写真を思い描いていたのではないか。
それを私が断ち切ってしまった。
私はお詫びしました。
目に涙が溜まり先生の顔が見られませんでした。
帰り際に「大変でしょうが勇気男君(館長)と共に頑張ってください」
と励みの言葉を頂きました。
建武館で直接打撃の空手を続けることだけは、
とうとう言えませんでした。
それが今でも心につかえています。
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篠田 剛 SHINODA Tsuyoshi
日本空手道建武館 館長
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※『おれの半生』は2010年9月~2012年9月にマイベストプロ東京で公開した『館長コラム』を転載したものですので、掲載している記述は執筆時点のものであり現況とは異なることもあります。