2011-04-04
おやじに金城先生を紹介されたのが15歳の時でした。
そして、金城先生からのマンツーマン指導を命じられました。
この先生のもとで生涯やっていけよと言われたようなものでした。
まだ中学生のガキだったころは宿命など考えもしませんでした。
しかし月日が経つうちに、
そういう巡り合わせだったんだろうなと思うようになりました。
宗家を継承して更に私は生涯の空手人生を思い描くようになりました。
しかし、私は辞任という道を選びました。
それは今思えば致し方ないことでした。
研修会の会長宗家職は趣味という楽な気持ちでは務まりませんでした。
とはいえそれに割いた時間と労力に何ら報酬を得るものではありません。
研修会は技術集団という自負もあり、資金を集めるという考えは禁忌でした。
私自身も空手を生活の糧にしようとするほど、
発展、拡大する考えを持ち合わせていませんでした。
時間とお金と気を使うのならば研修会ではなく建武館に、
というのは自然な成り行きでした。
先生と出会って23年。
館長の気苦労、本澤の思い遣りで心が動き、
私はお別れする意思を固めました。
一大決心でした。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
コラムは毎日書いていますので、よろしければ明日もまた読んでみてください。
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篠田 剛 SHINODA Tsuyoshi
日本空手道建武館 館長
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※『おれの半生』は2010年9月~2012年9月にマイベストプロ東京で公開した『館長コラム』を転載したものですので、掲載している記述は執筆時点のものであり現況とは異なることもあります。