当時、高級ウイスキーだったジョニ黒。その空瓶を父はいつも居間の座椅子の後ろに置いていました。時間があればそれでコツコツと脛やこぶしを叩いて鍛えていました。
私が一人ぼっちでいると、たいてい父は声をかけてくれます。そして、左手で私のこぶしを握り、右手で瓶をコツ、コツ、同じリズムで打ち続けるのでした。
脛の場合は膝下から足首までちょっとずつ下にずらしながら打ちます。山脈で例えれば頂き部分をたたき、続けて内側の斜面の部分に移ります。脛は場所によって痛さが異なります。特に、膝下と足首の部分はまるで違います。膝下はキンという痛さ、足首は抜けるような鈍い痛さです。
父は、「この部分がちょっと痛いだろう?」
私は、「全然(痛くない)」
すると父は少し嬉しそうな顔をします。会話があるとしたらその程度のやりとりです。とても少ない会話の中で、子供心に何となく、ガマンすることの大切さが感じられました。
父はときたま強めに叩いたりします。一瞬、私は目を見開き眉を上げてしまいます。
そういう時は必ず、「痛いか?」
すぐに涼しい顔に戻して、「全然」
この答えが何とも嬉しそうなんです。父は。
ある日、巻き藁という鍛錬具でこぶしを鍛えていると、大拳頭という当てる部分がこすれて皮がペロッと剥けてしまいました。皮がむけるほど頑張ったんだ、と父にこぶしを見せると、父はふ~ん、という感じでヨーチンを持ってきて傷口に塗るのでした。
ヨーチンは赤褐色の殺菌・消毒する劇薬液です。今の消毒スプレーと違い、塗ると、体じゅうの筋肉をギューッと固めないと堪えきれないくらい沁みるものです。
ペロッと剥けて血でにじんだ湿っぽい肌にヨーチンを塗ると、血が噴き出したように見えてギョッとします。だけど、痛がると父の思う壺。体はカチンカチンに固まりながら、せめて顔つきだけは平静を装います。
父子でそんな他愛もない意地の張り合いをしながら、だんだんとガマンの大切さを受け継いでいったのでした。
建武館 篠田剛
2010-11-10
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※この『おれの半生』は2010年9月~2012年9月にマイベストプロ東京で公開した『館長コラム』を転載したものですので、掲載している記述は執筆時点のものであり現況とは異なることもあります。