2011-02-22
我武者羅應援團の話で学生時代のことをまた思い出しました。
彼らのように我々も学生服を身にまとっていました。
私の唯一の同期、嶋田も應援團のように4年間ずっと学生服を着続けました。
ただ彼らと違うのが、
嶋田の学生服は4年間一度も洗濯をしていなかったことです。
嶋田の学生服は男のにおいがプンプンしていました。
私は、というとボロボロに破れた紋付と袴でした。
時には朴歯の高下駄を履くこともありました。
今どきいない近寄りがたい風貌でした。
したがって、通学中の満員電車に二人が乗り込むと、
決まって二人の周囲がすきました。
下駄は、買ったときは黒鼻緒ですが、
それを白に替えるのがおしゃれで、学三になるとやりました。
恩慈先輩の学生マントは憧れの的でした。
そのマントは上背部に白糸で大きく“拓大”と刺繍をしているものでした。
学四になり私はそれを譲ってもらい、とても誇らしく思えました。
学生服の着用は、大学に“遊ぶために来る学生”への
アンチテーゼでもありました。
学生は学業が本分なのにすぐ遊びに行けるような服装はけしからん
という姿勢の表れでした。
ただし、それが形骸化して粗野に振る舞うだけの者もいました。
しかしそうならないようにと恩慈先輩は拓禅会の活動を通して、
行動規範を我々に守らせました。
とはいえボロボロに破れた羽織袴での往来は、
周り近所にとっては異様だったでしょうね。
建武館 篠田剛
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※『おれの半生』は2010年9月~2012年9月にマイベストプロ東京で公開した『館長コラム』を転載したものですので、掲載している記述は執筆時点のものであり現況とは異なることもあります。