『米百俵 山本五十六の故郷 長岡藩』243 日本空手道建武館 篠田剛

2012-04-21

山本五十六が生まれたのは現在の新潟県長岡市にある長岡藩。
小泉純一郎が首相の時に所信表明演説で引用した「米百俵」の地が、この長岡藩です。
今日はこの「米百俵」についてお話しします。

当時の長岡藩は戊辰戦争で敗れて、収入を7割も削られる処分を受けてしまいました。
藩の財政は悪化し、藩士たちは困窮します。

そこに小林虎三郎という人物が現れます。
小林は「学校創設による人材育成こそが復興につながる」と考えていました。
そのためには農民や町民の子も入学できるような、開かれた学校でなければならない。

小林はお寺の本堂を借りて学校の前身を発足することにしました。
ところがここに通うのは裕福な藩士の子ばかり。

誰もが入れる開かれた学校にするにはとてもたくさんの資金が必要です。
現状は藩の運営費用もままなりません。学校創設どころの話ではないのです。

そんなとき、長岡藩の窮乏を案じた三根山藩から、百俵の米が贈られてきました。
藩士はこれで飯が食えると喜びます。

しかし小林は「その米を売却して学校を作る」と主張します。
藩士が反発したのは言うまでもありません。だが小林は主張を曲げませんでした。
「国が興るのも、街が栄えるのも、ことごとく人にある」
「食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ」
憤慨していた藩士たちは、やがて小林の使命感と情熱に折れて米の売却を認めました。

このようにして小林は売却益を元手に明治3年、『国漢学校』を開校したのです。
「百俵の米も食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」
この言葉の通り、やがてこの学校から多くの優れた人材が輩出されるようになりました。
山本五十六もまたその一人なのです。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
コラムは毎日掲載していますので宜しければ明日もまた読んでみてください。

篠田 剛 SHINODA Tsuyoshi 日本空手道建武館 館長
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※『空手のこころ』は2010年9月~2012年9月にマイベストプロ東京で公開した『館長コラム』を転載したものですので、掲載している記述は執筆時点のものであり現況とは異なることもあります。

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