2011-12-06
「大人が見守り、小さな痛みを伴う体験をさせることが、危険を察知し、自分で判断できる力を育てる」
これは安全教育に詳しい松岡弘氏(大阪教育大名誉教授)の指摘です。
大人の役目は子供を見守ることであって、
むやみに守るのではないということでしょう。
また、危険かどうかは“けはい”で感じるもので、
それは経験した人でなければ察することができません。
だから痛みを伴うかもしれないけれど、
あえて経験させることが大事なのだ、ということだと思います。
昔から“すり傷の多い子は大けがをしない”と言いますね。
あまりにも過保護に育てられてすり傷さえもしないと、
あとで大けがをしてしまいます。
この、“小さな痛みを伴う体験”の例えに出たのが「肥後守」でした。
肥後守とは折り畳み式ナイフのことです。
驚いたことに、新1年生の入学祝いとして、
このナイフを贈っている小学校が長野県にあるそうです。
鉛筆を削るとき子供たちは何度となく指先を切ったでしょう。
そのキンとくる痛みを経験するからこそ刃物の怖さが身に染みるのです。
浅沼稲次郎社会党委員長(当時)刺殺事件がきっかけに、
刃物を持たせない運動が広がりました。
危険なものを排除することで子どもを守ろうとしたのです。
これは確かに、安全を第一に考えれば正しいかもしれません。
命は一つしかないのですから。
絵に描いたナイフを見せて、刃物は怖いんだよと話してあげれば、
「刃物は怖い」と理解するでしょう。
しかし、どれだけ痛いのかはわかりません。
私の息子が小学1年生ごろでしたか。
親指の付け根をザックリ切ったことがあります。
夏休みの課題で何か一生けん命に工作していました。
牛乳パックをカッターで切ろうとしたら、
押さえている左手までザックリ切ってしまったのです。
数針縫うけがをして、それから1年くらいは、
カッターを見るのもイヤ、というのが続きました。
もちろん、今では普通に使っていますが、
ほかの誰よりもカッターの怖さを知っているでしょうね。
指を切ってこんなに痛いのだから、
ナイフで刺されたらどんなに痛いことか、何となく想像がつきます。
人の痛みがわからないのは、
そういう自ら痛みの経験が乏しいからではないでしょうか。
わが痛みを人の痛みに置き換え、人の痛みを我が事のように感じる。
これが長野の小学校校長の願いなのだと思います。
守りすぎるとひ弱な子になる。
人の痛みがわからなくなる。
だから、親は手を差し伸べたいところを、
じっと堪えて見守る時も必要なのだと思います。
“手を差し伸べたくなることもあるだろう これをじっとこらえてゆくのが 親の修行である”
道場の会員から広島のお土産と、
山本五十六の名言色紙をもらって感激したのでもじってみました。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
コラムは毎日書いていますので、よろしければ明日もまた読んでみてください。
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篠田 剛 SHINODA Tsuyoshi 日本空手道建武館 館長
財団法人日本体育協会公認上級指導員
介護予防サポーター こころの健康サポーター
板橋区にある地元密着の空手道場で“ガマンを売る空手家”
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※『空手のこころ』は2010年9月~2012年9月にマイベストプロ東京で公開した『館長コラム』を転載したものですので、掲載している記述は執筆時点のものであり現況とは異なることもあります。