『プレッシャーを受け入れる』72 2011-02-01 涙が止まらなかったその悔しさを糧に一年間稽古しました。 一年後の勝利のためなら苦しみに耐えられました。 稽古が辛くて時々頭をもたげた怠け心も “お前はあの時の恥をもう忘れたのかよ&rdq…続きを読む
『決勝進出を決める』73 2011-02-02 連合会の全国空手道選手権大会。 大会会場は神戸ポートアイランドワールド記念ホール。 一回戦は順当に勝ち進みました。 しかし二回戦で早くも山場を迎えました。 前年度優勝者と戦うことになったからです。 …続きを読む
『雪辱を果たす』74 2011-02-03 連合会の全国空手道選手権大会決勝戦。 試合場には窓から差し込む西日がまぶしく注いでいました。 それが逆光となって相手の顔が真っ暗になってしまいます。 そこで自分に有利なポジションをと西日を背に戦いま…続きを読む
『こんちくしょうはエネルギー』75 2011-02-04 準優勝した翌年9月の全国空手道選手権大会。 会場は神戸から大阪府立体育会館に変わりました。 この年は、地元の先輩後輩が大ぜいで、 応援に駆け付けてくれることになりました。 車に乗り込んで夜通し高速道…続きを読む
『引退そして宗家の継承』76 2011-02-06 昭和61年から63年にかけて地元大会では負け知らずの3連覇を達成。 この年、私は研修会の師範を允許されました。 ほどなく現役引退を兄より勧められました。 考えた末、私は引退を決意しました。25歳の時…続きを読む
『誹謗中傷』77 2011-02-07 後継者が社長になることに賛同する者をあらかじめ取締役に選んでおく。 これは会社において後継者の地位を安定させるための手段の一つです。 しかしその賛同する者を選ぶ暇もないほどのテンポで、 事が進むとど…続きを読む
『宗家、会長、そして結婚』78 2011-02-08 平成になってからいろいろな出来事がありました。 まずは平成元年に宗家の継承。 翌平成2年、研修会制作のビデオに出演します。 タイトルは「甦える伝統空手」でした。 もちろん、初めての出演です。 基本、…続きを読む
『指導者の苦悩と努力 上級指導員になる』79 2011-02-09 平成7年にC級スポーツ指導員養成講習会を受講しました。 講習内容はスポーツ生理学、医学、経営学、指導論…。 多岐にわたるものでした。 講習会は休めません。 たとえ親に不幸があっても免除…続きを読む
『坂戸市民チャリティマラソン』80 2011-02-10 地元の先輩、小松ちゃん。 その小松ちゃんが 「みんなでマラソン大会に出よう!」 と言い始めました。 1997年のことでした。 この人はいろんな変化球を投げてくるからびっくりします。 だけど日頃から後…続きを読む
『気を失っていたのです!』81 2011-02-11 1997年11月。 小松ちゃんの誘いに乗って坂戸市民チャリティマラソンに出場しました。 先輩後輩がぞろぞろと、朝早くに集合しました。 東武東上線の大山駅を出発して埼玉の坂戸駅に到着、 いよいよマラソ…続きを読む